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玉川温泉9泊10日の旅
10月25日
玉川温泉在日0日目

田沢湖駅から玉川温泉まではバスで1時間。その間に見ることの出来る景色。
この写真は田沢湖。光り輝いていました。
いざ、玉川到着!!!


これが玉川温泉入り口だ!!!

僕が泊まった玉川温泉の宿は大部屋の6人部屋だった。

そこで知り合った同部屋のおじいちゃんのノンフィクションストーリーはとても神秘的でファンタジックで今でもよく覚えている。

おじいちゃんは、脊椎に腫瘍が出きて、そこを手術したのだそうだ。幸い、腫瘍はうまく取れたものの、神経にもふれたようで、右足が麻痺して、力が全く入らなくなる後遺症が残ってしまった。

それから、おじいちゃんは、玉川温泉のことを知り、いくらかでも足が良くなれば、いや、よくならなくても、元気に暮らしていければ、という願いを込めて、玉川温泉に湯治に来るようになった。

ここ、玉川は、秋田の山奥の奥に位置し、そこはホクトウ石と言って、天然のラジウム(放射線)を放射する岩石があることで有名な温泉地域で、そのラジウムを利用した温泉、岩盤浴を求めて、たくさんの病気患者が足を運びに来る。
で、おじいちゃんは、片足が不自由にも関わらず、玉川温泉を毎日散歩しては、岩盤浴をして、玉川探索をするのが、ここに来ての日課となっていた。

そうして、毎年、2回以上はここを訪れて、20泊くらいするそうなのだが、

そのある日のことだった。

いつものように、散歩をしていたのだが、なにせ、片足不自由で杖をついての散歩。しかも、このあたりの道は、岩の連なる険しい道が多いので、足の不自由でない人にとっても、四苦八苦な道なのだ。
そんなみちだから、おじいちゃんは、疲れて、一休みしようとそこにあった岩によっこらしょっ!っと座った。
しばらく座って一息ついていたのだが、そうしてると、なんと、次第に右足にみなぎるように力が入るようになったではないか!

どうしたことか!?

そのうえ、体がとても軽くなっている。

おじいちゃんは信じられず、眼を丸くしていたのだが、そこでピンと何かがおじいちゃんの頭を駆け抜けた。

そう、その座った場所が、あのホクトウ石の原石だったのだ!!

おじいちゃんは、至ってもいられないくらい嬉しくなり、右足が不自由であることも忘れ、飛ぶようにして宿に帰ったのだった。

しかし、不運にもその日が今回の湯治のラストの日。再び、そのホクトウ石のところに行くことは叶わなかった。

あの信じられない感覚。

おじいちゃんは、忘れることが出来なかった。

その後、足は再び麻痺の状態に戻ってしまった。

しかし、再び、玉川に来て、あのホクトウ石を探そうと胸に誓って、それが待ち遠しくてたまらなくなっていた。そこには、おじいちゃんの夢と希望が確実に形をなしつつあった。

そして、次の玉川での湯治の日がやってきた。
おじいちゃんは、有無を言わずに、あのホクトウ石の原石と思われる岩石を探しに一目散に散歩に出かけた。
しかし、いくら前回通った道を探し歩いても、それらしい岩石は見つけることができなかった。

あの感覚は、なんだったのだろう。幻だったのだろうか。いや、そんなはずがない。確実にこの両足で歩いて帰ったのだ。

それからというもの、毎年、あの岩石を探しに、あの足の感覚を追い求め、おじいちゃんは、玉川に来ては、散歩に出かけるのであった。

おじいちゃんは、今年で84歳になった。

しかし、おじいちゃんの眼の輝きは、青春そのもので光り輝いていたことは言うまでもあるまい。

そんなおじいちゃんは、玉川のことを何でも知っている玉川名人で、玉川の名物おじいちゃんとして、みんなから愛されている。

10月26日
1日目
岩盤浴2回、温泉3回

岩盤浴を楽しむ?多くの人々。


いざ、我も岩盤浴チャレンジ!!
腫瘍のあると思われる腸骨にラジウムの出ているらしい所にピンポイントさせる。これがまた熱い。下手するとやけど。そこらへんは自分で調節していく。気持ちよくて寝てしまうこともしばしば。1時間近くやると、汗がびっしょり。
ゴザとバスタオルと水と着替えは必須!!

でも、不思議なことに岩盤浴を1時間やると、それまで痛くて眠れなかった俺の腰の痛みが本当になくなり、体がとても軽くなった!(注:個人差あり。決して病気の治癒を保障するものではありません。)
何度やっても同じ現象が起きた。
これには驚いた。
しかし、その効果は、何時間かしか感じることは出来なかった、
が、痛みで不眠気味だった俺がぐっすり眠れるようになったことだけでも、大きな大きな価値に値すると実感。
これだけでも来たかいがあった。


10月27日
2日目
岩盤浴2回、温泉3回


ラジウム温泉から沸き立つ湯気。若干のラジウムが混じってる・・・らしい。

10月28日
3日目
岩盤浴2回、温泉3回

この周辺一帯がラジウム温泉の源流となっている。
10月29日
4日目
岩盤浴1回、温泉3回

この日は、雨が降り、岩盤浴1回、温泉3回。
でも、雨でも、岩盤浴に出かける人がほとんどで、これには本当に恐れ入りました。
ここの人たちの気合はすごいよ!!80歳くらいのおばぁちゃんでさえも、ゴザと、毛布を かついで普通に出かけるからね。90歳のおじいちゃんに限っては、山登りしてたし。

ここの世界はどこかおかしいです。


10月30日
5日目岩盤浴2回、温泉3回

本当なら、この日函館へ帰る予定で会ったが、俺のいたっての希望で、もう少し滞在させてもらうことにした。11月4日まで延長。運良く部屋も空いていたらしく、そのまま同じ部屋に滞在していいとのこと。

そして、予定より滞在するのでコストを抑えるため、自炊することに。

自炊することにしたのはいいが、全く自炊のための道具がないという当たり前のことにこのとき初めて気付くアホンダラな僕ちゃん。
でも、自炊している人がアドバイスをしてくれて、最低限度自炊に必要な道具を売店でゲット成功。なにせ、初めての自炊。何からはじめればいいのか全くわからない。

そうしていると、隣の部屋で自炊していたおばぁちゃんが、俺に助け舟。しかも、これが大船になるとはこのときの俺は知らない。茶碗だの皿だのを

「余ってるからあげるよ」

と言って、俺にくれた。

本当に何の材料も準備もないのに、コストのことだけを考えて自炊をはじめようとしていた自分が恥ずかしく、情けなくなった。と同時におばぁちゃんに深く感謝した。
そして、おばぁちゃんは、

「2日まで私たちいるから、それまでご飯を作ってあげるよ。多いほうがおいしく炊けるし。」

と言って、俺の分のご飯さえもつくってくれると言ってくれた。
でも、甘えてばかりいてもダメだ!!と思いつつも、その提案は願ってもないことで、甘えさせてもらうことにしてしまった。情けない。

「本当にありがとう、おばぁちゃん。」

でも、そのときのことが、なぜか、まわりの自炊仲間に知れ渡り、みんなが俺に気を使ってくれるようになり、材料を分けてくれたり、おかずの作り方を教えてくれたりして、助けてくれるようになった。このときの感動といえば、忘れられない。本当にみんな、いい人だ。泣きそうになった。

でも、みんなが癌患者だった。しかも、病院から見放された末期の人たちばかり。こんないい人たちなのに、はじめは残酷すぎると思わざるを得なかった。

でも、みんな本当に明るく、元気で生き生きしていて、本当に末期なの?と、疑ってしまうくらいポジティブで明るかった。すごく鼓舞されたのを今でも鮮明に思い出す。

でも、それらの助けは最初、単に嬉しかったとしか鈍感な俺は感じなかったのだが、時がたつにつれてみんなに多大な迷惑をかけているということにようやく気づき始めた。みんな病気で大変な中、自炊しているんだ。
なのに、俺は、自分のことばかり考えて自炊をはじめて、そのあげくの果てには、みんなのお世話にまでなり、おばぁちゃんのすねまえかじり。とても、みじめな気持ちになった。

このままではいけない!!

と思い、自分でなんとかしなくては!といきり立った。自分で自炊ができないなら、初めから自炊なんかやらなきゃよかったんだ。どこかで誰かが助けてくれる。そういうふうに俺は甘えていた。

病気の時もいつもそうだった。誰かに甘えていた。自分でどうにかしようという気が全くなかったんだ。これじゃいけないと感じ、自分で自分のことをするというもっとも基本で当たり前のスタート地点に俺はようやくたった気がした。

それから、自分の中で何かが少し、すこ〜しだけ変わった。


10月31日
6日目
岩盤浴1回、温泉3回

この日は、なんだか、疲れ気味。玉川に来て7日が経とうとしている。やはり、1週間というサイクルが体に影響し始める頃なのだろうか。目がうつろになり、貧血特有の症状もチラホラ。自炊の疲れと、慣れない環境での精神的な疲れが重なったようだ。それでも、無理してしまう悪い癖のある俺。
けど、今回はブレーキをかけ、一休み。

温泉においては、15分我慢して100%源泉に入ることで、体の毒素が出てくるという話を聞き、15分我慢して入るようにしてみた。

なんか前に悪性リンパ腫の人がいて、ここの源泉100%に1日合計2時間は入るようにしていたら、元気になったという話を聞いていたので、がぜん、やる気に!!

でも、5分経過すると、とにかく痛い!!なにがって強酸性の泉質は、それでなくても肌への刺激がとてつもなく強く、そのうえ100%源泉なので、その湯が俺の肌に追い討ちをかけるようにしみいるのだ。唐辛子をぬりたくったかのようにヒリヒリして痛い。
それでも、我慢我慢。
でも、う〜、耐えられず、ギブアップ!!

やはり、我慢してやるのは間違っているような気がする。

気楽にのんびりと湯治するほうが 絶対体にいいのではないだろうか

という疑問が、我慢をまさり、我慢して入るのはこれっきりにしようと思った。


11月2日
7日目
岩盤浴2回、温泉3回

ここで仲良くなった人たちも次々と帰っていった。
その中でもけっこう親しくしてくれたおじさんがいて、

「東京に来たら、寄りなさい。」

と言って、俺に名刺をくれた。

「あと、相撲の東京場所のとき、係りをしているから来たら招待するから来なさい。」

とまで言ってくれた。なんかどこかの社長さんらしく、とてもオーラのあるおじさんだった。 聞くと息子が俺より少し年上なのだそうだ。とても有難い言葉をちょうだいした。

しかし、その後会う機会は訪れず、今にいたる。
いつか会えることを心から願っている。


11月3日
8日目

家から電話が来た。

携帯が圏外であるここでは、温泉に直接電話が来る。
そうしてまで、電話が来るということは、それだけ急な用だということをすぐ察知した。

というのも、ここに来る前提として治療を受ける前にどうしても、玉川に行きたいという俺の至っての希望があったわけで、宿泊を延長している今、治療をどんどん後延ばしにしているということなのだ。

その予想は的中した。

「国立ガンセンターから電話がきた」

という知らせだった。玉川に来る前に、ガンセンターに直接、家からセカンドオピニオンという形で診察してもらえるかを依頼していたのだ。その返事がこの日来たのだ。

ガンセンターの見解としては、

「かなり厳しい状況ではあるが、完治させるためには同種移植しかない

ということで、おかんとの一座不一致の移植をするという内容で、医師たちの会議でまとまったということだった。症例数は言うまでもなく少なく、実験的な治療になってしまうが、完治させるにはその方法しかないというのだった。

とりあえず、見捨てられなかったことだけは救いだった。でも、実験的って。 。。
そして、なんと今月末にはやりたいらしく、11月4日にその話をするために、来院してほしいということだった。だから、玉川温泉を急きょ、チェックアウトしなくてはならなくなった。

最終的な目標は、完治。


玉川とガンセンター。どちらが現実的か。

このときの俺には、ガンセンターを選ぶほか俺には選択肢は残されていなかったように思う。

そして、急きょ、チェックアウトすることに。せっかく、たくさんの人たちと仲良くなり、自炊にも慣れてきて軌道に乗り、楽しくなってきたとこだったのに。とても残念な気持ちでいっぱいになった。みんなに恩返しのひとつも出来なかった。こうなったら、元気なって、また、ここを訪れるほかない。知り合いの一人くらいには会えるはず。それが俺の希望と生きがいのひとつに組み込まれることになった。

お世話になった人たちに

「明日帰ることになっちゃった。いろいろ本当にありがとうございました。」

と挨拶にまわった。

米を炊いてくれたおばぁちゃん。

鍋での米の炊き方を丁寧に教えてくれた大腸がんのおじさん1号、

相撲の東京場所へ招待してくれた肝臓の悪いおじさん2号。

同部屋で面倒をみてくれた前立腺がんのおじさん、

自炊を助けてくれた肺がんのお兄さん、

と肝臓ガンのおばさん。

結婚した翌年に旦那さんの癌が発覚し、しかも末期で、夫婦で自炊をして湯治しに来ていたお二人。

そして、足の麻痺した玉川名物おじいちゃん。


みんな、本当にお世話になりました。

米をくれたおばぁちゃんは、目に涙をためてくれ、

「もうおばぁちゃんは先がないから、あなたの住所は聞かないね。」

と言って、半泣きしくれた。この言葉には、俺も、ノックアウト寸前だった。

足の悪いおじいちゃんも

「次くるときは、俺も自炊するかな」

と言って、

「また、会おう!」

と固い握手をかわしてくれた。

こうして、実質8泊9日となった玉川一人旅に幕が閉じられた。